端谷城

別名 寺谷城 付近住所 神戸市西区櫨谷町 現在 満福寺
2003/9/23 碑・案内板アリ 日本城郭大系


衣笠氏 端谷城が築かれた詳細な時期は不明ですが、城主衣笠氏は鎌倉時代の中頃には櫨谷の荘園を治めていたと考えられます。室町時代には、赤松氏に属し応仁の乱(1467〜1477)などで活躍し、その功により衣笠の姓を得たと伝えられています。その後は、福中城の間嶋氏(平野町福中)などと勢力争いを続け、勢力拡大に伴い櫨谷の谷筋に池谷城、福谷城、城ヶ市城、城ヶ谷砦など衣笠氏一族のものと考えられる城や砦を築いています。戦国期に入り、別所氏(三木城)が勢力をのばし、やがて東播磨の覇者となった時、端谷城もその支城の役割を果たすようになります。天正6年(1578)、羽柴秀吉の三木城攻めが開始され間嶋氏らとともに別所方として活躍しましたが、三木城落城後の天正8年2月25日に落城し、廃城となりました。今日に残る遺構は、その時のものです。堀切によって丘陵の一部を切断するなどの大土木工事のすえ、急峻、堅固な城塞を築きあげた背景として櫨谷、東播磨全体が緊迫した状況にあったことが、残された遺構から読み取ることができます。櫨谷を守り続けた端谷城は落城から400年以上たちましたが、市内で最も保存状態が良好な山城です。当寺の櫨谷の状況を知ることのできる貴重な遺構で、歴史遺産として後世に守り伝えていかなければなりません。